[F] 八雲橋(やくもばし)

欄干コノヤロー!(タケシ風に!)
玉藻公園として憩いの場になっている高松城は、日本三大水城の一つに数えられています。海水を導いた堀が城を三重に囲む珍しい構造で、現在は内堀と中堀の一部しか残っていませんが、かつては外堀もありました。片原町から兵庫町にかけて東西に延びているアーケード街が、ちょうど外堀の位置になります。

江戸時代、外敵の侵入から城を守るため、外堀にはほとんど橋がありませんでした。明治時代になると役目を終え、行き来しやすいように橋が架けられました。八雲橋も明治12年、現在地の北西約40メートル付近に架けられました。当時付近には出雲大社分院があり、多くの人がこの橋を渡って参拝していたそうです。名前の由来も、出雲の枕ことば「八雲立つ」から付けられたといわれています。明治33年、街の開発で外堀は埋め立てられ、八雲橋も壊されました。

それから約100年の歳月が流れた平成5年、土中から見つかった1本の橋の親柱を用いてモニュメントが造られました。八雲橋は、こうして再び街角に立ち、変わりゆく城下町の姿を見守ることになりました。明治33年、街の開発で外堀は埋め立てられ、八雲橋も壊されました。

それから約100年の歳月が流れた平成5年、土中から見つかった1本の橋の親柱を用いてモニュメントが造られました。八雲橋は、こうして再び街角に立ち、変わりゆく城下町の姿を見守ることになりました。



住所:    香川県高松市兵庫町

平成 20年 6月 2日 岡 謙太郎